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野球部奮戦記

後楽園球場で早実と決勝戦
小崎 勇二(新2回生)
 母校創立70周年記念特集号に投稿させていただける光栄に浴し、感激しております。小生も昨年還暦を過ぎ、老境に一歩足を踏み入れる身となり、年と共に、青春時代の思い出が微笑ましく、懐かしくよみがえってくるようになりました。太平洋戦争たけなわの昭和19年4月に東京都立第六中学校に入学し、終戦後新制高校となり昭和25年3月卒業までの6年間、文字通り激動の青春時代を過ごしました。戦中戦後を通じ幾多の忘れ得ぬ思い出がありますが、矢張りどうしても書いて置きたいものはメンバーの一人として参加した野球部の活躍の一こまであります。

 細かい点では記憶が定かではない点もありますが、時は昭和23年5月、高校2年生の春でした。新憲法発布記念東京大会が開催され、予選3試合を勝ち抜き、東京西部地区より、巨人の王選手の打撃コーチとして有名な荒川博投手を擁する早稲田実業と新進気鋭の滝島投手を擁する本校の2校が代表として駒を進めました。この大会の球場は、今の東京ドームの前身の後楽園球場で行なわれました。本格的なスタンドのある球場での試合は初体験であったと思います。

 第1回戦の相手は都立一高(現日比谷高校)で3-2の接戦で勝ちました。滝嶋投手の好投と、予選で1本のヒットも無かった3番藤井君の左中間逆転の2塁打が光りました。準決勝は、高師付属高校でした。速球派の好投手高島君に対し、1年先輩の北川さん(故人)が初回に右中間の塀に直接当たるあわやホームランかという弾丸ライナーの大3塁打をかっとばし、意気軒昂4-3で接戦をものにしました。

 2日目はいよいよ決勝戦、同じブロック代表の強豪早稲田実業との対戦となりました。さあ、学校は大変です。授業は2時限で打ち切り、全校生徒が応援してくれる事となりました。開校以来の快挙?だったそうです。俄応援団も結成されましたが、東京六大学の影響で、非常に上手なリーダーが出てきたのには驚かされました。一方、選手の方も3日連続の試合などやった事がありません。特に捕手として病み上がりだった小生にこたえたのかも知れませんが、更衣室で黙ってユニホームに着替える姿にも全員、疲労がにじみ出ていたやに記憶します。

 結果は、3連投のエース滝島君の球が高めに浮き、打ち込まれて9-0と大敗しましたが、初回はノーアウト1、2塁のチャンスを生かせず、4番高橋君の強い当たりのショートゴロがゲッツーとなり、一矢も報い得なかったことがくやまれます。とにかく、球場、応援団、3日連続試合と、それまで2部の弱小チームにとっては晴れがましい強烈な初体験でありました。これを契機に、名門、強豪よりの試合申し込みも多くなり、チームは更に自信と力をつけ、当時、夏の大会の優勝候補の一角を占めるようになったのでした。

 今、手許に、都立一高戦後に野球部員全員、先生及び緒先輩と撮った写真があります。選手では1番ショート島崎君、2番セカンド北川さん、3番サード藤井君、4番センター高橋君及び宮田先生が幽明境を異にしている事を思うと寂しさを禁じえません。残った人達と一夕酒でも酌み交わしながら語り合いたいと思いながら関西在住の為思うにまかせずにおります。この一文をご覧の方よりお声がかかれば早速上京したいと期待をかけつつ終わらせていただきます。

(「朝陽」創立70周年記念特集号−1992年10月 より)


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