ライン

野球部奮戦記

なぜ高校野球なのか 熱球の原点D
D エース 投手歴浅いが球威十分/進学だって負けないゾ

 打者の胸元にグイッと食い込む速球。左腕のエース、高山毅彦君(3年)は4番バッターでもある。文字通りチームの"浮沈のカギ"をにぎる存在だ。その高山君、高校での投手歴はまだ十ヶ月、新チーム編成で球質を見込まれ、投手に指名された。今春の都大会では、明大明治や日大桜ヶ丘の強打線を見事に抑え、準々決勝でも1対2で敗れたとはいえ、古豪・早実打線を見事に2点に抑える大活躍。早くも「都内の高校で五指に入る投手」と、折り紙をつけられている。
 「でもねえ、好、不調の波が大き過ぎて・・・。エースが投げて見なければ調子が分らないなんていうのは一番困るんだ」と世田谷リトルリーグの監督をしている会社員の父親、功さん(49歳)。同リーグのコーチを5年、監督歴3年の功さんにかかると、エース高山君も、まだ、全幅の信頼を得るところまでいかないらしい。
 高山君は、野球好きの小、中学生で結成された世田谷リトルリーグの出身で、世田谷区立三軒茶屋小1年のころから、暇さえあれば、キャッチボールをし、4年生の時にリーグ入りしている。以来、同区立駒沢中1年までの4年間、投手や一塁手として活躍した。間もなく功さんもリーグのコーチに。「でもグラウンドで直接、息子をコーチしたことは一度もありませんでした、技術指導は、監督や他のコーチに全てまかせていました」。功さんは、もっぱら「エースとしての自覚を」と、心構えをぶってきたそうだ。
 「数学と理科が苦手。得意なのは英語」という高山君は、国立大学の法学部を第一志望にしている。その進学勉強のパートナーも「彼のサイン通り投げている」と信頼を寄せる捕手の寺島一広君(3年)だ。放課後、二人そろって毎日、原宿にある図書館に通い、閉館時間の夜8時までがんばっている。帰宅後も机に向かうが、好きなフォークのレコードを高1の妹と聞いたり、「学校生活も結構、楽しんでいます」。でも、野球の練習日は帰宅すると、もうグッタリ。その分をカバーするため、学習スケジュールをきちんと立てているという。進学と野球を両立させるための"配球"も十分のようだ。
 厳しい受験戦争時代。学習とスポーツを、いかに両立させるか。どこの高校スポーツ選手たちも一番の悩みだろう。だが、どの選手も「スポーツで養ったガンバリが必ず受験で役立つ」と信じる。新宿高校野球部の進学率も毎年「上々」だ。高山君たちは、進学のグラウンドでも圧勝をねらっている。
 土、日曜日の練習試合。高山家ではおじいちゃんの倉吉さん(78)が欠かさず"応援出動"する。その倉吉さん、高山君にとって最も耳の痛い"野球評論家"だ。「投げこみがたらないぞ」。その一言で、"特訓"も覚悟しなければならない時もある。今懸命のランニングと投球が、炎暑のグラウンドで続く。
(昭和54年(1979年)6月27日付 読売新聞 都民版 より)


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