ライン

野球部奮戦記

なぜ高校野球なのか 熱球の原点G
G 応援団/夏への期待込めて誕生 こちらも連日特訓

「カットバセ−、カットバセー、シンジュク・・・」黒の学生服の応援団員十数人。炎暑も吹き飛ばすファイトが、新宿高グラウンドに響き渡る。さる九日の戸山高との年に一度の全校対抗戦だ。テニス、バスケット、囲碁など同校の代表各チームが覇を競ったが、野球部も負けられない一戦だった。
大切なその一戦に応援団は百万の味方だ。全員一、二年生だが、キビキビとした応援ぶりがプレーに"花"を添える。高く掲げている校旗を見ると、縦約1メートル、横約1.5メートル。綿布で即製したらしい。一塁側で声援する戸山高側の校旗に比べ、大きさも生地も「差をつけられている−」と女子生徒がくやしがるほど。おまけに旗をつけたポールは、テント用のポール。山岳部から借りたものという。
ムリもなかった。この応援団、この日がお披露目で、まだ学校と生徒会のクラブ委員会から正式には"認知"されていない。生徒たちが自発的に結成した。同校初の応援団である。エース高山君を擁して、実力をつけた現チームへの「今年の夏の大会は大いにやりそうだ」との期待感から、生まれたらしい。
そのへんの事情を、リーダー格の工藤貴志君(二年)が次のように説明する。「四月の春の都大会で、神宮第二球場で行われた早実との準々決勝に出かけてビックリしたんです。ウチから応援に二百人ぐらい来ていたけど、リーダーもいないので、バラバラにたまに拍手がわき起こる程度。それなのに向うは七百人近くもいて、しかも、応援団の指揮で整然と応援している。その応援ぶりだけでもナインが圧倒されそうで・・・。これじゃいけない。野球が強くなったんだから当然、応援も必要だし、強くならなければと思い立ち、応援団を作ろうと決意したんです」。
そのデビューは戸山との全校戦と決め、さっそく戸山戦対策委員会に加藤弘明君(二年)をキャップに応援係をつくってもらい、一、二年の計十六クラスから一クラス二人づつ参加するよう呼びかけた。二年生四人、一年生十二人の十六人が集まった。「予定通り集まらなかったのはチョッピリ不満」(加藤君)だったが、この十六人が五月末から、野球部員以上に厳しい一日三時間の応援練習を積み重ねた。これまで応援の経験なんてゼロの新人ばかりだけに、エールの交換法、手拍子の取り方など、どれをとっても一からの出発。見よう見まねのハードな特訓が、グラウンドと同じように続いた。
いま応援団員たちの願いは三つある。大会で優勝すること。それにブラスバンドの演奏を加え、校旗を立派な物にする。その実績を認めてもらい、同好会となることだ。
その同好会の"認知権"。生徒会のクラブ委員会と職員会議にある。実績がないので、まだ先のこととなりそうだが、「戸山戦が終わったあと、選手たちから"応援どうもありがとう"と言われ、とてもうれしかった。夏の大会ではきっと他校に負けない応援をして見せますよ」と、自称、応援団員たちは胸を張っている。
「新宿高野球部"有望"の評判に、同校OBたちも落ち着かない。同窓会「朝陽会」副会長の「丸井」社長の青井忠雄さん(46)もその1人。青井さんは、毎年、夏の大会の直前に、同社所有のグラウンドを、母校チームに提供しているが、「都立高の名をぜひ高めて欲しい。今年は何を置いても応援に駆けつけますよ」と、大会を心待ちにしている。
(昭和54年(1979年)7月1日付 読売新聞 都民版 より)


戻る
戻る