ライン

野球部奮戦記

“若さ”を求めて
佐藤 喜一(昭和54〜62 野球部顧問)
暑さが一時に訪れ、汗が流れるようになって、高校野球の球音が高くなり始めると、何となく落ち着かなくなる。6月に東京都予選のプログラムが決まると、今年はどこまでやれるかと組み合わせ表を見ながら、皮算用してみたりする。

今年(1992年)も、1回戦・2回戦は軽く勝てると踏んだ。3回戦でおそらく城西が出てくるであろう。これが抜ければ帝京まで行く、そうすればまた「都立フィーバー」ということになろう、などとひそかに期待した。

7月22日、神宮第二球場の第3回戦は、予想通り城西と対戦した。この球場での対城西戦には苦い思い出がある。昭和55年の大会で、大敗を喫したからだ。1年生のピッチャー(彼は林正之君といい、上智大学を出て、現在海上自衛隊に勤務して、対潜哨戒機に乗っている)まで繰り出したものの、相手の打球は、ゴルフボールの如く軽々と外野のネットまで飛んでいったのである。

しかし、今年のチームは強かった。投手小寺は健闘したし、守備も再三相手の足を封じた。1−0から1−1に追いつき、また2−1とリードされて、そのまま敗戦となったが、最後まで期待を持たせる一戦だった。

あの頃 ― ダックアウトの中で、にじんでくる汗をぬぐうのも忘れて、選手一人ひとりのプレーに祈るような眼差しを送っていた日々が、10年近く続いた。その当時はシンドイと思ったけれど、懐かしい思い出となった。野球部OBの結婚に際して媒酌人をつとめさせていただいたことが3回、披露宴に招待され、スピーチをした事はどのくらいあるか数え切れない。

彼らと共にいた時 ―― それは若さの息吹の中に身を置く事ができた時だった。既に私からは消えたその“若さ”を求めて、私の足は来年も球場に向かうであろう。そして、試合の経過に一喜一憂しながら、汗の流れるのを忘れる事であろう。

(「朝陽」創立70周年記念特集号−1992年10月 より)


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